【レビュー】『Mink Car』(They Might Be Giants / 2001)

Lesley Price(原文)

Wata(訳)

 

 特定のジャンルや世代のバンドとして定義されてしまうことをかたくなに拒む姿勢は、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツTMBG)のもっとも印象的な特徴の一つだろう。

 TMBGがデビューしたのは1980年代だけれども、彼らを「80年代のバンド」と呼ぶのは、個人的には違和感を覚える。また、1990年代の多くのオタクっぽい10代のラジカセでは、『Flood』(1990年)や『John Henry』(1994年)がかかっていただろう。けれども、これらのアルバムは今でも十分に通用する。1990年代らしい、と一聴して分かるような要素が少ないのもそうだが、ある意味では、バンドキャンプ世代の先駆者みたいな感じで、時代を先取りしているともいえるかもしれない。

 

 

 けれども、TMBGにはこの法則に真っ向から反する、とても「その時代らしい」アルバムが1枚存在する。一体どのアルバムだろうか?

 今日私がレビューする『Mink Car』(2001年)こそがそのアルバムだ。『Mink Car』は、2000年代初期の空気感に頭から足までどっぷり浸かっている。聴きながら目を閉じてみれば、フロステッド・ティップスの髪型で、サングラスを掛けている自分の姿が想像できるかもしれないくらいに。

 「その時代らしい」アルバムという評価をマイナスに捉える人もいるかもしれない。しかし、私にとっては、むしろプラスである。過去のポップミュージックに対して、私は幼い頃から強い憧れを抱いてきた。その理由の一つが、ポップスのタイムカプセル性である。ある一つの曲が、作者が意図したかどうかはともかく、その曲が作られた時代と場所の空気感をギュッと凝縮してしまうのは、現代に存在する技術の中では、タイムトラベルにもっとも近いものかもしれない。

 結論をいえば、私はこのアルバムがとても「2001年らしい」のが好きでたまらないのだ。このアルバムをかけると、9・11(同時多発テロ)以前のゼロ年代にいるような気分になる。ベタだけれどポジティブな近未来的なモチーフが詰まったカプセルのような時代に。



Mink Car』の「2000年からみた未来」というような空気感には、TMBGがこの頃エレクトロニックミュージックへの関心を深めていたことも少なからず貢献している。注目したいのは、このアルバムの中で特にエレクトロニックなサウンドの曲の多くが、TMBG自身によってセルフプロデュースされていることだ。

 例えば、「Mr. Xcitement」はどこかドラムンベースっぽい作風で、楽しさがはじけるような曲だが、この録音には、ソウル・コフィング(Soul Coughing)のマイク・ドーティ(Mike Doughty)その人が参加している。

 しかし不思議なことに、この曲は私にとってソウル・コフィングというよりはケーク(Cake)に近いように聞こえる。ホーンの爆音、サーフィン・インストを彷彿とさせるギター・リフ、ラップとセリフの中間のようなヴォーカルなどの要素である。

 もし「Mr. Xcitement」を聴いて「バカげてる」と思ったのなら、14曲目の「Wicked Little Critta」までしばしお待ちを。この曲では、従来のTMBGサウンドに近いアコーディオンがサビで前面に出して活躍させつつ、しゃがれたアシッド・ベース、ターンテーブルのスクラッチ音、それにホッケーの実況中継(?)のようなラップをコラージュしている。この曲と同じようなサウンドの曲は存在するのだろうか?もしあるとしたら、私はまだ聴いたことはない。



 しかし、『Mink Car』で最も素晴らしいエレクトロニックナンバーは、アルバム唯一のシングルカット「Man, It's So Loud in Here」である。なんとアダム・シュレシンジャー(Fountain of Wayne)がプロデュースしたこの曲は、TMBGはおろか、アダムが以前録音した楽曲にすら似ていない。

 一聴しただけでは、アンセミックで壮大な、ナイトクラブむけのニュー・レイヴっぽい楽曲だと思うだろう。しかし、歌詞の内容に注意を向けてみると、騒々しいナイトクラブの轟音の中でなんとか必死に会話を成り立たせようとする男についての歌だと気づく。

 この対照的な違いは、単なるギミックに終わる危険性もあったーーもしこの楽曲がポップ音楽の頂点まで上り詰めていなければのことである。

この曲が最後のクライマックスに入った時に、あなたの心臓がこの曲のテンポにぴったり合わせて鼓動していないのならば、ギーク・ハウスというジャンルはあなたには向いていないのかもしれない。



 シンクエンサーを駆使した、よりデジタルなサウンドへの移行は、TMBGが90年代半ばに取っていた「ロックバンド」路線からの意図的な転換に感じられるかもしれない。けれども、この転機の予兆はすでに1999年の『Long Tall Weekend』でも見られる。これは、果たしてTMBGのメジャー・レーベル所属期の終わりを告げる前兆だったのだろうか? それとも、新たなサウンドを追求する純粋な欲求から生まれた変化なのだろうか?

 いずれにせよ、『Mink Car』の収録曲の一部、特にセルフ・プロデュースの楽曲は、80年代風のカシオのキーボードではなく、ゼロ年代風のデジタル・ピアノを用いているという違いはあれど、『John Henry』以前(「デュオ期」)の作品を彷彿とさせる、シンプルで風変わりなアレンジがなされている。

 この好例が、アルバムのタイトル曲「Mink Car」だ。この曲は、バート・バカラックへのオマージュでありながら、ジョン・フランツバーグ(John Flansburgh)が地下室で録音したような音像をまとっている。



 ここで、このアルバムの問題点に言及しておきたい。「船頭多くして船山に登る」の陥穽に多少ながら嵌ってしまっていることである。一つのアルバムの中で多数のプロデューサーが指揮をとっているせいで、簡素なセルフ・プロデュースと完璧主義的なアダム・シュレシンジャーのプロダクション、そして『Flood』の時にもコラボしたクライヴ・ランガー&アラン・ウィンスタンリーのコンビがプロデュースした楽曲との間で、曲の雰囲気に大きな隔たりがあるのだ。

 時々、ファンが3枚のTMBGのアルバムを集めて、その中から好きな曲を選んだミックステープを聴いているような気分にさせられることもある。しかし、この「次のどんな曲が来るか予想できない」雰囲気が、私の興味をそそらないと言えばうそになる。



 アダム・シュレシンジャーはこのアルバムで他にも2つ名プロデュースを放っている。そのうちの1曲が、「Another First Kiss」である。この曲はアイビー(Ivy)の楽曲のヴォーカルをジョン・リネル(John Linnell)に置き換えたような、TMBGにしては珍しいダウンテンポのバラードである。ちなみに、この曲に続いて収録されているのがパンクのキテレツなパロディ、「I've Got a Fang」で、面白おかしくありつつ、(おそらく意図的に)耳から頭脳をガンガン攻めてくるような一曲だ。

 アダムがプロデュースした最後の曲「Yeh Yeh」は、1964年にイギリスのジョージー・フェイム(Georgie Fame)が放ったR&Bヒットのカバーである。(このオリジナル自体、実はモンゴ・サンタマリアによるラテンソウル・インストゥルメンタルのカバーだった)。

 オリジナルにもどこかオタクっぽい愛嬌が付いて回っていたが、TMBGはそれを更に増幅させ、ギャグ漫画じみた領域まで持ち上げた。

 不思議なことに、ある意味では、このTMBGのカバーも、とても時代を感じさせるものではある。21世紀の節目にラジオから流れていたようなカクテルネイション/オルタナロック・クロスオーバーの楽曲の雰囲気に似ているからだ。『オースティン・パワーズ』のサウンドトラックか何かに取り上げられることを目論んで録ったようなサウンドがする。



 これでもこのアルバムにはゲストの登場が少ないと思うのなら、セリス・マシューズ(Cerys Matthews)がバッキング・ヴォーカルを担当した素晴らしいポップ・パンク「Cyclops Rock」まで待ってほしい。・・・えっ、誰か知らないって? カタトニア(Catatonia)のヴォーカルだった人だ?えっ、カタトニアのことも知らないって? まあ、この当時は大物だったのである。

 いずれにしろ、このアルバムの「その時代」らしさを語るに置いてTMBGがときおり見せるポップ・パンクへの挑戦を無視することはできない。大げさで鼻にかかったスケート・パンク風のアクセントは、まるで彼らがこのジャンルをからかっているかのようにも聞こえる。(いや、それともTMBGはいつもこんな鼻声なのか?)

 ここで思い出しておきたいのは、このころFOXで放映された10代向けのシットコム『Malcolm in the Middle』の主題歌として、スカ・パンク風の「Boss of Me」をTMBGが提供したということである。残念なことに、「Boss of Me」は『Mink Car』セッションで録音されたのにもかかわらず、『Mink Car』のアメリカ・オリジナル盤には収録されていない。

 そのかわりに、このアルバムはヨーロッパのほうでより好ましい曲順を用いて発売されたといえるかもしれない。冒頭に「Man, It's So Loud In Here」と「Boss of Me」が続けざまにくるよりも強烈なワンツーパンチは果たして存在するだろうか?



 その答えはノーだが、(アメリカ盤の冒頭に収録されている)「Bangs」と「Cyclops Rock」はそれと良い勝負をしている。特に「Bangs」の、レーガン大統領の時代に[『Lincoln』の]「Ana Ng」をクールで未来的に聞こえさせたののちょうど同じように、フィルターをかけたトレモロ・ギター・エフェクトで始まるところが、私は特に好みである。一応言っておくと、このアルバムの前半はとても素晴らしい。私は(このレビューを書き始めてから)すでに何度も繰り返し聴いているところだ。しかしどういうわけか、後半に入るとガソリンが切れてしまったように感じられる。おそらく、アダム・シュレジンガーのようなプロデューサーの制御なしに、TMBG本人たちの好みを前面に押し出しすぎた結果かもしれない。



 とはいえ、私は多数派とは言えないかもしれない。というのも、『Mink Car』は現在TMBGのファンの間で、その一癖二癖あるところも含めて、アルバム全体がカルト的な人気を博しているからだ。しかし発売当時、世間での反応はそれよりも弱かった。それはなぜだろう?

 『Mink Car』を少しでも知っている人であれば、その発売日が不幸にも同時多発テロ(2001年9月11日)と重なった事実を聞いたことがあるだろう。9.11が引き起こした変化は、当時のファッションやポップミュージックにまで及び、アップビートなポップや派手な2000年風のデザインは、一夜にしてより重苦しく深刻な雰囲気を帯びたロックやヒップホップに取って代わられた。

 すなわち、ここで私が述べたいのは、9.11の直後に、『Mink Car』のような軽くてバカげたアルバムを聴くのは全く不謹慎だと感じられたに違いないということだ。TMBGがニューヨークを拠点としていることも、これを更に痛ましい状況に感じさせる。



  しかし、『Mink Car』のストーリーには、それなりのハッピーエンドが訪れることとなる。発売10年後、熱心なTMBGファンが集って、このアルバムの全曲をカバーした。その売り上げはニューヨーク消防局所属のNPOであるFDNY基金に直接寄付され、Bandcamp上での売上だけで2,410ドルを集めたからだ。一つ目の巨人がロックしているやら、ソンブレロが空中を浮遊しているやらをテーマにしたアルバムから、これほど多くの良いことが生み出されるとは、いったい誰が予想しただろうか?